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横浜地方裁判所 平成7年(行ウ)4号 判決 1997年4月30日

神奈川県横須賀市馬堀海岸一丁目六番地八

原告

鈴木貞子

右訴訟代理人弁護士

影山秀人

栗山博史

神奈川県横須賀市上町三丁目一番地

被告

横須賀税務署長 安島和夫

右指定代理人

伊東顕

青木明

加藤正一

菅野勝雄

庄子衛

黒子雅則

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し、平成五年一二月二七日付けでした平成三年分所得税の更正処分についての分離短期譲渡所得に対応する部分及び過少申告加算税の賦課決定処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告が、別紙物件目録記載の不動産(以下「本件マンション」という。)の譲渡は租税特別措置法三五条一項(平成五年法律第一〇号による改正前のもの。以下「本件特例」という。)にいう「個人が、その居住の用に供している家屋で政令で定めるもの」の譲渡、すなわち居住用家屋の譲渡に当たるとして、被告が原告に対し平成五年一二月二七日付けでした原告の平成三年分所得税の確定申告についての更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分の取消しを求めたものである。

一  争いのない事実等(末尾に証拠等の記載のないものは、当事者間に争いがない。)

1  原告は、昭和六一年六月二七日、本件マンションを購入し所有していたが、平成三年一二月一八日、本件マンションを他に譲渡した。そして、原告は、右譲渡が本件特例にいう居住用家屋の譲渡に当たるとして、平成三年分所得税の確定申告に係る分離短期譲渡所得金額を零と算出して、平成四年三月一三日、被告宛に確定申告書を提出した。

2  被告は、本件マンションの譲渡が本件特例にいう居住用家屋の譲渡には当たらないとして、原告に対し、平成五年一二月七日付けで、平成三年分所得税の更正処分及び過少申告加算税の賦課決定処分(以下合わせて「本件各処分」という。)をした。

その結果、新たに納付すべき税額は、本税が六〇二万二七〇〇円(分離短期譲渡所得一五〇五万七七二〇円に対応する納税額六四〇万四二〇〇円から源泉徴収税額を差し引いた五六六万二四〇〇円及び確定申告における還付金の額に相当する税額三六万〇三五〇円を合算し三桁未満を切り捨てたもの。)、過少申告加算税が八七万八〇〇〇円とされた。

3  被告は、平成五年一二月二七日、本件各処分に係る通知書(以下「本件通知書」という。)を簡易書留郵便により原告宛に発送した。その送付先は、原告の平成三年分の確定申告書に記載された住所地(横須賀市浦賀町三丁目一一番地、以下「浦賀町」という。)であり、当時の原告の住民登録上の住所地でもあった。

4  本件通知書は、平成五年一二月二九日、浦賀町に送達され、同所に居住する原告の実母青木きみ(以下「きみ」という。)が受領した。

5  原告は、平成六年三月三一日、被告に対し異議申立てをし(以下「本件異議申立て」という。)、被告は、同年六月二二日、異議申立期間を徒過した不適法なものであるとしてこれを却下する決定をした。(乙第二、三号証)

原告は、右決定を不服として、同年八月三日、国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、国税不服審判所長は、同年一二月二一日、適法な異議申立てを経ていない不適法な審査請求であるとして却下の裁決をし、そのころこれを原告に送達した。(乙第六、七号証、弁論の全趣旨)

二  争点と双方の主張

本件の本案前の争点は、本件訴えが適法な不服申立手続を経た上で提起されたといえるかどうか、換言すれば、原告が本件各処分に係る通知を受けた日の翌日から二か月の異議申立期間内に本件異議申立てをしたといえるかどうかであり、本案の争点は、本件マンションが本件特例のいう居住用家屋に当たるかどうかである。

これらについての双方の主張は以下のとおりである。

1  本案前の争点

(一) 被告の主張

国税通則法(以下「通則法」という。)は、本件各処分のような国税に関する法律に基づく税務署長の処分に対する不服申立方法として、異議申立て及び審査請求の手続を設け、原則としてこの二段階の不服手続を経た後でなければ原処分の取消訴訟を提起することができないものと定めている(七五条一項一号、三項、七七条一項、二項、一一五条一項)。そして、この不服手続を経たというためには、当該不服申立てが適法にされたものでなければならないと解されるから、異議申立てが処分があったことを知った日(処分に係る通知を受けた場合には、その受けた日)の翌日から起算して二か月以内という不服申立期間(通則法七七条一項)を経過してされた不適法なものであるときは、それに基づく訴えは、適法な異議申立てを経ていない不適法な訴えとなる。

これを本件についてみるに、通則法は、国税に関する法律の規定に基づき発せられる書類は、郵便によりその送達を受けるべき者の「住所又は居所」に送達するものと定めている(一二条一項)、この「住所又は居所」について特段の規定を置いていないから、これに当たるかどうかは、民法に照らし判断しなければならないところ、納税者が外部に対し、郵便物を受領する場所等として住所を明らかにした場合は、その場所は、右にいう「住所又は居所」に当たるものと解するのが相当である。本件通知書は、浦賀町に送付されているが、ここは、住民登録上の住所であり、しかも、原告は、平成三年分所得税の確定申告書に、住所地として浦賀町を記載し、また、昭和六二年分ないし平成四年分の所得税の確定申告書に添付した原告の勤務先発行の各年分の支払調書に住所地を浦賀町と記載し、さらに、平成五年九月一七日、横須賀税務署において、上席国税調査官井上博行(以下「井上調査官」という。)に対し、浦賀町は自分の実家であり、実母きみが住んでいること、そしてこの建物は原告の所有であることを話し、同年一二月中旬ころ、井上調査官が電話で原告に対し、本件通知書の送付先を、浦賀町の家と、原告が本件マンション購入前に光雄と共有で購入して、当時、居住していた横須賀市馬堀海岸一丁目六番地八所在の建物(以下「馬堀海岸一丁目の家」という。)のどちらにすべきかを尋ねたのに対し、どちらでもよいが浦賀町にはきみがおり、よく行くのでそこで受け取ることができる旨話している(井上調査官は、これを聞いて、浦賀町に送付する旨、原告に伝えた。)から、本件通知書が発送された当時、外部に対し、郵便を受領する場所等連絡の窓口が浦賀町である旨を明らかにしているものということができる。なお、原告は、本件異議申立ての際も、これに対する被告の通知は浦賀町に送ってほしい旨の上申をしている(乙第四号証)ところである。したがって、浦賀町は、通則法一二条一項にいう原告の「住所又は居所」に該当するものというべきである。

そして、本件のように、処分に係る通知が郵便による方法でされた場合、通則法七七条一項の「処分に係る通知を受けた」とは、郵便が名宛人の住所に配達されたときをいうが、受送達者が直接その書類を受領して了知することを要するものでなく、当該通知が社会通念上受送達者あるいは受送達者のために受領権限を有する者において了知しうべき状態に置かれれば足りると解すべきである。ところで、前記のとおり、原告は、本件通知書の送付先である浦賀町を対外的な連絡窓口としての住所としていたほか、井上調査官に対し、浦賀町には実母きみが住んでおり、よく行くので、そこで本件通知書を受領できる旨述べていること、きみ作成の書面(乙第八号証)に鈴木貞子の郵便物はいつも袋にタメテ入れておきます」との記載があること、原告の公的年金等の源泉徴収票が浦賀町の家に郵送された上、原告の許に届いていることなどからして、原告は、きみに通知等の受領権限を与えていたものといえるから、本件通知書が浦賀町に居住するきみに配達された平成五年一二月二九日に、本件各処分に係る通知を受けたものというべきである。

そうすると、本件各処分に対する異議申立期間は、きみが本件通知書を受領した翌日である平成五年一二月三〇日から進行するものというべきところ、原告は、その日から二か月を経過した後の平成六年三月三一日に本件異議申立てをしているから、本件異議申立ては不適法であり、本件訴えも適法な異議申立てを経ていない不適法な訴えとなる。

(二) 原告の主張

被告の主張は争う。

原告は、平成六年三月一四日、きみから簡易書留郵便を手渡され、これを開封して初めて本件各処分のあったことを知った。したがって、本件異議申立期間の起算日は平成六年三月一四日である。すなわち、通則法七七条一項のいう「処分があったことを知った日」とは、被処分者が、処分に係る通知を受領することにより、処分があったことを現実に知った日をいうものと解すべきであり、これが了知しうべき状態に置かれた日をもって、処分があったことを知った日と解すべきではない。原告は、本件通知書をきみが受領した当時、馬堀海岸一丁目の家に居住し、きみの住む浦賀町の家には居住していなかったから、きみが平成五年一二月二九日に本件各通知書の封入された簡易書留郵便を受領したことをもって、原告が本件処分のあったことを現実に知ったということはできない。また、きみは、右簡易書留郵便を受領した当時、原告からそのような重要郵便物受領の権限を授与されていたものではないから、きみがこれを受領したことをもって、社会通念上原告が本件各処分のあったことを知ったと同視することもできない。そして、原告は、前記平成六年三月一四日から二か月以内に本件異議申立てをしているから、異議申立期間を徒過しているものではない。

被告は、本件通知書をきみが受領していること、原告が井上調査官に対し、浦賀町の家には実母きみが住んでおり、よく行くので、そこで本件通知書を受領できる旨答述したこと、きみ作成の書面に、原告宛の郵便物はいつも袋に入れてとってある旨の記載があること、公的年金等の源泉徴収票が浦賀町の家に郵送されていることなどから、原告がきみに対し、原告宛の郵便物の受領権限を与えていた旨主張する。しかし、きみが本件通知書を受領したのは母親としての事務管理に基づくものといえるし、原告が井上調査官に対し、被告主張のようなことを述べた事実はない。また、きみが原告宛の郵便物等を茶封筒に入れてためておき、後日これを原告に手渡すということが何度か行われたことは事実であるが、その大部分は、広告用のチラシやビラ等内容的にはさほど重要でないものであり、原告が自己の印鑑をきみに預託するなどして、書留郵便物等の重要郵便物の受領をきみに委任したことは一切なく(現実の問題としても、当時きみは高齢で社会的判断力に乏しく、原告がきみに重要郵便物の受領を委任できる状態ではなかった。)、公的年金等の源泉徴収票が浦賀町の家に郵送された上原告の許に届いたといっても、課税処分の通知書と普通郵便で配達される公的年金等の源泉徴収票とでは郵便物の重要性に質的な差異があり、後者は前者に劣るから、後者の郵便物が原告の手許に届いたからといって、原告がきみに重要郵便物の受領権限を与えたと推認することはできない。

なお、被告は、本件通知書の送達がされた浦賀町の家が通則法一二条一項にいう「住所又は居所」に該当すると主張するが、原告は、当時馬堀海岸一丁目の家に居住し、これを生活の本拠としていたものであり、浦賀町をもって原告の「住所又は居所」ということはできない。このことは、馬堀海岸一丁目の家に配達される郵便物が多数あったことや、きみが浦賀町の家において原告宛の書留郵便物等重要な書類を受領したことがなかったことからも明らかである。しかるに、井上調査官は、原告が馬堀海岸一丁目の家に居住しており、浦賀町の家に居住していないことを知りながら、しかも、原告が浦賀町の家に居住していないので受け取ることができない旨申し述べていたのにこれを無視して、一方的に住民票上の住所に送達することを原告に伝え、その後浦賀町の家に本件通知書を送達したものである。

2  本案の争点

(一) 被告の主張

原告は、本件マンションを購入した昭和六一年六月から、これを売却した平成三年一二月までの間、本件マンションに出入りすることはあったものの、本件マンションでは食事をせず、電気、ガス及び水道はほとんど使用しなかった。すなわち、原告の本件マンションにおけるガスの使用量は、平成元年八月以前については不明であるが、同年九月ないし平成二年四月一二日までは零であり、それ以後平成三年二月までは閉栓中となっており、同年三月から同年六月一二日までは、開栓したものの使用料は零であり、それ以後売却までは再び閉栓中となっている。また、電気の使用量は、ほとんど使用実績がなく、特に昭和六三年八月以降は、本件マンションに冷蔵庫等の電化製品が存在したことは窺えるものの、これを日常的に使用していたとは認められない程度のものであった。また、水道の使用量は、給水契約を初めて取り交わしたのが平成二年二月一一日であり、それ以後もほとんど使用していないことが窺われる程度のものであった。また、原告は、本件マンションに電話も引かず、本件マンションの自治会の当番にも入っていなかったし、本件マンションの住人で原告を見かけた人はなかった。このようなことに加えて、原告が、馬堀海岸一丁目の家に居住する夫光雄や長男啓道の食事の世話のため、夜、馬堀海岸一丁目の家に行き夕食を作り、それから本件マンションに戻って泊まり、翌朝早く再び馬堀海岸一丁目の家に行って朝食の支度をして出勤するという生活をしており、まれに馬堀海岸一丁目の家に泊まっていくこともあったと供述していることからすると、原告は、仕事以外の大半の時間を馬堀海岸一丁目の家で費やしていたと推認されるから、本件マンションを生活の拠点として利用していたとはいえない。したがって、本件マンションは、本件特例のいう居住用家屋(居住の用に供している家屋を二以上所有する場合には、主として居住の用に供していると認められる一の家屋に限る。措置法三五条一項、同法施行令二〇条の三第二項、二三条一項)に当たらない。

なお、原告は、本件マンション取得後、光雄及び啓道の食事の世話のため、馬堀海岸一丁目の家に早朝及び夜間の一日二回足を運んでいたものの、夕食を作った後は、馬堀海岸一丁目の家には寝る場所もないので本件マンションに戻り、再び朝、馬堀海岸一丁目の家で朝食を作った後、本件マンションに戻り、午前八時半ころ本件マンションから出勤するという生活を続けていたもので、本件マンションに居住していた旨主張する。しかし、本件マンションと馬堀海岸一丁目の家との距離は約一・六キロメートルあり、当時五八ないし六三歳の原告が、バスやタクシーなどを利用したとはいえ、毎日のように右のような行動をとることは著しく困難といわなければならない。むしろ、原告が、馬堀海岸一丁目の家に泊ることもあったと述べていることや、本件マンション売却後、光雄や啓道とともに馬堀海岸一丁目の家に居住していることを認めていることに照らせば、原告は、本件マンションを所有していた期間についても、馬堀海岸一丁目の家に居住していたものというべきである。

(二) 原告の主張

被告の主張は争う。

本件マンションは、原告が生活の拠点として利用していた家屋であり、本件特例にいう「居住の用に供している家屋」に当たる。原告は、馬堀海岸一丁目の家を購入して夫光雄と長男啓道がそこに移った後も、夫との不仲のため、浦賀町に住んでいたが、自分が居住することと、将来、長女に遺してやりたいと考えて、本件マンションを購入したものである。原告は、本件マンションを購入した当時、馬堀海岸一丁目の家に光雄と同居できる心理状態にはなかったし、住民票も本件マンションに移し、本件マンションに冷蔵庫、扇風機、ポット、炊飯器、ドライヤー等の電気製品や、ソファーベッド、机、椅子、座卓等の家具、布団、座布団、食器類等を運び込み、以後本件マンションで生活し、少量ながら電気、水道、ガスを使用していたほか、ほとんど毎日のように本件マンションで寝泊りしていたものであり、光雄及び啓道の食事の世話のため早朝と夜間の二回馬堀海岸一丁目の家に足を運んではいたが、同所で泊まることはまれであり、そこには原告専用の布団すらなかったものである。

原告は、本件マンションで寝泊りしていたものの、食事をすることはめったになく、その仕事は生命保険の営業で、正規の出勤は月曜から金曜であるが、土日も集金で外出することが多く、近所づきあいもあまりなかった。このような生活であったので、近所の人が見かけることもなく、電気、水道、ガスを使用することも少なかったのである。なお、原告は、本件マンション購入当初、給水契約を結んでいなかったが、水道を使用するのに不都合はなかったし、ガスの使用量が一定以下の場合、使用量は零と表示されるものである。また、原告は、後に本件マンションを売却しているが、これはローンの支払が困難になったためであり、購入当初から予想されたものではなかった。

もし、被告が主張するように、家屋に寝泊まりはしているものの外出が多く、当該家屋での滞在時間が全体として短い場合に、これを居住用家屋に当たらないとすると、原告のように、一人暮らしをし、仕事が忙しく、早朝家を出て、夜遅く帰宅するというライフスタイルをしている者には居住用家屋が一切なくなってしまうことになり、不合理である。また、被告は、原告が本件マンションを所有していた期間、馬堀海岸一丁目の家に居住していたと主張するが、原告は、馬堀海岸一丁目の家には、光雄や啓道の食事を作りに立ち寄るだけであったのであり、ここには原告専用の布団すらなかったのであるから、このような寝泊まりもしていなかった家屋に居住していたというのは非常識である。

第三当裁判所の判断

一  争点1(異議申立期間徒過の有無)について

本件通知書が、平成五年一二月二九日浦賀町に送達され、同所に居住する原告の実母きみが受領したことは前記のとおりであるところ、被告は、これにより、本件各処分に対する異議申立期間は、その翌日である平成五年一二月三〇日から進行することになるとして、原告の本件各処分に対する異議申立ては、その期間を徒過した不適法なものであると主張するので、以下検討する。

1  前記争いのない事実等及び証拠(甲第七号証、乙第四号証、第八ないし第一一号証、第一二号証の一ないし四、第一三、一四号証、第一五号証の一ないし八、第一六ないし第一八号証、証人井上博行の証言、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和三年九月二八日、きみの子として出生し、浦賀町の家で育ち、昭和三四年、光雄と婚姻した。原告は、婚姻後も浦賀町の家で居住し、昭和三五年に長女啓代、昭和四〇年に長男啓道をもうけた。そして、原告は、昭和四五年ころから日本生命保険相互会社に勤務し、現在まで外交員として勤務している。

(二) 原告は、昭和二六年四月六日、浦賀町の家を相続により取得したが、これが戦前に建てられた家で老朽化しており、そのまま居住し続ければ、啓道の婚姻にも差し支えると考え、昭和五九年一二月二二日、光雄と共有で馬堀海岸一丁目の家及びその敷地を取得した。また、原告は、この馬堀海岸一丁目の土地建物はいずれ長男に遺すことになるので、長女にも何か不動産を遺しておきたいとの考えから、昭和六一年六月二七日、本件マンションを購入した。そして、これらの不動産の取得に伴い、光雄と啓道は、昭和六二年四月七日、住民登録を浦賀町から馬堀海岸一丁目六番地八に異動して同所に居住し、一方、原告は、昭和六一年七月二日、住民登録を浦賀町から本件マンションの所在地である横須賀市馬堀海岸四丁目一番地二一コスモ馬堀海岸三〇六に異動した。

(三) その後、原告は、平成三年一二月一八日、本件マンションを売却し、少なくとも、これ以降は、馬堀海岸一丁目の家に居住することとなったが、同月一九日、きみの相続に関する思惑から、住民登録は再び浦賀町に異動した。そして、原告は、本件マンションの譲渡に伴う平成三年分所得税の確定申告に係る分離短期譲渡所得金額につき、本件特例を適用してこれを零と算出した上、平成四年三月一三日、確定申告書を被告宛に提出したが、この確定申告書には、住所地として浦賀町が記載され、自宅電話番号として、浦賀町の家に設置されている電話番号が記載されていた。なお、原告は、昭和六二年分ないし平成四年分の所得税の確定申告書に添付した原告の勤務先発行の各年分の支払調書にも、住所地を浦賀町と記載していた。

(四) 横須賀税務署の井上調査官は、原告の右確定申告書の内容について調査する過程で、平成五年九月一七日、原告を同税務署に呼び出した。原告は、その際、井上調査官に、浦賀町は自分の実家であり、実母きみが住んでいること、そしてその建物は原告の所有であることを話した。その後、被告は、右調査の結果、本件マンションは本件特例にいう居住用家屋に該当しないとの判断に達し、同年一〇月中旬、井上調査官が原告に修正申告の慫慂を行ったところ、原告はこれに応じる考えはない旨述べたので、被告は、更正処分を行うこととした。そこで、井上調査官は、同年一二月中旬ころ、電話で原告に更正処分の送付先を尋ねたところ、原告は、浦賀町と馬堀海岸一丁目のどちらでもよいが、浦賀町には実母きみがおり、よく行くので、そこで受け取ることができる旨述べた。そして、本件通知書は、同月二九日、浦賀町に送付され、同所に居住するきみが受領した。

(五) その後、原告は、平成六年二月二二日、平成五年分の確定申告書を被告宛に提出し、その「還付される税金」欄に五一万一四五八円と記載していたが、被告は、原告の本件各処分に係る平成三年分の所得税が滞納となっており、また、右確定申告書に添付されている原告の勤務先発行の平成五年分の支払調書の住所欄に記載されている浦賀町の住所と右確定申告書の住所欄に記載されている馬堀海岸一丁目の住所とが異なることから、これを保留していたところ、その後、右確定申告書を作成した税理士から被告に対し、確定申告書の住所欄を誤って記載した旨の電話連絡があったので、被告は、これを受けて、原告の住所は浦賀町であることを確認の上、右所得税五一万一四五八円の還付の保留を解除するとともに、直ちにこれを原告の右滞納税額に充当した。

(六) 原告は、平成六年三月中旬ころ、職場にいた際、きみから「手紙がたまっている」旨の電話を受け、同月一四日、浦賀町の家に行き、きみから袋に入った郵便物を渡され、その中に本件通知書があるのを知った。そして、原告は、同月三一日、被告に対し本件異議申立てをしたが、その際、横須賀税務署の職員の求めに応じて「税務署の通知は浦賀町三丁目一一番地に送付して下さい」と記載した書面(乙第四号証)を提出した。

(七) きみは、浦賀町において、従来から、原告宛に来た通常の郵便物をまとめて袋に入れておき、原告が浦賀町の家を訪れた際にこれを手渡していたが、原告から、印鑑を渡されるなどして書留郵便の受領権限を明示的に委任されたことはなかったし、これまでに、原告宛の書留郵便を受け取ったこともなかった。なお、きみは、本件通知書を自己の印鑑を用いて受領した。

以上のとおり認められ、右認定に反する原告本人の供述及び甲第七号証(原告の陳述書)の記載は、前掲各証拠に照らしたやすく採用できず、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

2  ところで、通則法は、国税に関する法律の規定に基づき発せられる書類は、郵便によりその送達を受けるべき者の「住所又は居所」に送達すべきものと定めているが(一二条一項)、この「住所又は居所」について特段の規定を置いていない。したがって、これに当たるかどうかは、民法の規定に従い判断すべきであり、生活の本拠とする場所をもって、住所とみるべきであるが、生活の本拠という客観的事実は、定住意思が具体化されたものとみられるから、その判断に当たっては、補充的に主観的意思も考慮に入れざるを得ない。また、今日のような複雑な生活関係の下にあっては、すべての法律関係に共通する単一の住所を画一的に考えるのは相当でなく、要は問題となった法律関係ごとに、最も関連の深い場所を住所と認めるのが相当である。そして、このような観点に加え、税務関係書類の送達に関しては、徴税上の便宜という側面も考慮に入れる必要があることに照らすと、納税者が外部に対し、郵便物を受領する等連絡の窓口でもある住所として明示している場所は、居住の有無にかかわらず、通則法一二条一項のいう「住所又は居所」に当たると解するのが相当である。

そこで、これを本件についてみるに、前記認定の事実によれば、原告は、当時、浦賀町で住民登録をしていること、平成三年分所得税の確定申告書に、住所地として浦賀町を記載し、また、昭和六二年分ないし平成四年分の所得税の確定申告書に添付した原告の勤務先発行の各年分の支払調書に住所地を浦賀町と記載し、さらに、平成五年九月一七日、横須賀税務署において、井上調査官に対し、浦賀町は自分の実家であり、実母きみが住んでいること、そしてその建物は原告の所有であることを話し、同年一二月中旬ころ、同調査官が電話で原告に対し、本件通知書の送付先を浦賀町と馬堀海岸一丁目のどちらかにすべきかを尋ねたのに対し、どちらでもよいが浦賀町にはきみがおり、よく行くのでそこで受け取ることができる旨話していることからすると、浦賀町は、通則法一二条一項のいう原告の「住所又は居所」に当たるものと解するのが相当である。なお、原告は、井上調査官が、原告が馬堀海岸一丁目の家に居住しており、浦賀町の家に居住していないことを知りながら、しかも、原告が浦賀町の家には居住していないので受け取ることができない旨申し述べていたのにこれを無視して、一方的に住民票上の住所に送達するといって、浦賀町の家に本件通知書を送達したと主張し、甲第七号証にはその旨の記載があり、当裁判所においてもこれに副う供述をするが、これと反対趣旨の証人井上博行の証言に照らし、にわかに採用することができない。

ところで、本件のように、処分に係る通知が郵便による方法でされた場合、通則法七七条一項の「処分に係る通知を受けた」とは、郵便が名宛人の住所に配達されたときをいうが、常に受送達者が直接その書類を受領して了知することを要するものでなく、当該通知が受送達者あるいはこれと生計を一にする同居人若しくは受送達者のために受領権限を有する者に了知できると認められる客観的状態に置かれれば足りると解するのが相当である。本件通知書は、前記のとおり、簡易書留郵便をもってされ、原告の実母きみがこれを受領しているが、きみは原告と生計を一にする同居人ではないから、原告がきみに対し、このような書留郵便物の受領権限を委任していたという事実が認められれば、きみが本件通知書を受領したときに、本件通知書は原告の了知しうる状態に置かれたとみることができ、被告は、このような見地に立って、その旨の主張をする。そして、なるほど、前記認定のとおり、本件通知書はきみが受領しているほか、原告は、浦賀町を対外的な連絡窓口としての住所として外部に明示し、井上調査官に対しても、浦賀町には実母きみがいてよく行くので、そこで書類を受け取ることができる旨答えており、さらに、証拠(乙第八号証、第二〇号証)によれば、きみは、これまでも、原告宛の通常の郵便物を袋に入れてまとめておき、原告に渡していたこと、そして、浦賀町の原告宛に普通郵便で郵送された、平成六年分公的年金等の源泉徴収票は、格別の支障なく原告の手許に届いていることが認められ、これらの事実に徴すると、原告は、原告宛の郵便物の受領権限をきみに委任していたかのようである。しかし、原告は、浦賀町を対外的な連絡窓口としての住所として外部に明示しただけで、きみに郵便物の受領権限を委任した旨を表示したわけではないし、これまできみが原告宛の郵便物を受領していたのは、母親としての事務管理に基づくものともいえるから、これらの事実から、直ちに、原告が、原告宛の郵便物の受領権限をきみに委任していたと認めることには疑問が残るといわざるをえない。しかも、本件の場合、原告が、本件通知書のような書留郵便物という法的に重要な意味を有する書類の受領権限をきみに委任していたかどうかが問題であるところ、原告がきみに対し、それらの書類の受領のため、特に印鑑を渡すなどの授権行為をしたことが認められず、また、かつて、きみにおいて原告宛の書留郵便を受領したことがあるとの事実も認められない本件においては、明示的にはむろん黙示的にもそのような委任の事実を認めることは困難といわなければならない。したがって、他にこれを推認させる特段の事情も認められない本件においては、きみが本件通知書を受領したことをもって、原告の了知しうる状態に置かれたとみることはできないといわなければならず、この点に関する被告の主張は採用することができない。そして、前記認定の事実によれば、原告は、平成六年三月一四日、きみから本件通知書を手渡され、これを開封して本件各処分のあったことを知ったのであるから、その日に本件各処分の通知を受けたものというべきである。

そうすると、原告が平成六年三月三一日にした本件異議申立ては適法であり、原告の本件訴え、出訴期間を遵守しているものとして、適法というべきである。

二  争点2(本件特例適用の有無)について

本件特例にいう「その居住の用に供している家屋」とは、真に居住の意思をもって客観的にもある程度の期間継続して生活の本拠としていた財産をいい、これに当たるかどうかは、家屋への入居目的、居住期間、当人及び配偶者等の日常生活の状況、家屋の構造等の諸事情を総合的に判断して決すべきである。そこで、これを本件についてみるに、前記認定の事実と証拠(甲第三号証、第四ないし第七号証、第八号証の一ないし六、第九号証の一ないし三、第一四号証の一、二、第一五号証、乙第九号証、第二一ないし第二三号証、証人井上博行の証言、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。

原告は、馬堀海岸一丁目の土地建物はいずれ長男に遺すことになるので、長女にも何か不動産を遺しておきたいとの考えから、新築の本件マンションを購入した。原告は、本件マンション購入後、そこに冷蔵庫等の電気製品、家具等を運び入れた。本件マンションの原告宛に郵便物が配達されたり、原告が花屋に花を届けさせたことがあった。しかし、原告は、本件マンションには電話も引かず、マンションの自治会の当番もしなかった。原告の本件マンションにおけるガスの使用量は、平成元年八月以前については不明であるが、同年九月から平成二年四月一二日までは基本料金の範囲内(一〇〇〇リットル未満)であり、それ以後平成三年二月までは閉栓中であり、同年三月から同年六月一二日までは開栓したものの使用量は同様に基本料金の範囲内であり、それ以降売却までは閉栓中であった。電気の使用量もわずかで、昭和六一年七月から昭和六三年七月までの二年間は毎月の電気料金は一〇〇〇円ないし二〇〇〇円前後で推移していたものの、昭和六三年八月以降は毎月の電気料金は一〇〇〇円前後となり、平成三年五月から同年一一月にかけては毎月の電気料金は四〇〇円前後(使用量零)となった。水道については、原告は、本件マンションを購入して約三年七か月が経過した平成二年一月一一日に初めて横須賀市水道局との間で給水契約を取り交わし、同年二月から平成三年一二月までの二か月ごとの水道使用量は多くて二立方メートル、ほとんどが一立方メートルであり、平成三年七月から同年一二月までは零であった。原告は、本件マンション購入後、自らそのローンを支払続けていたが、支払が次第に困難となり、平成三年一二月一八日これを売却した。

以上の事実が認められる。これらの事実によれば、原告は、浦賀町と馬堀海岸一丁目に既に家屋を所有しており、そもそも、長女に遺すつもりで本件マンションを購入したもので、専らこれを居住目的で購入したものとはいえないというべきである。そして、本件マンションを所有していた期間(昭和六一年六月二七日から平成三年一二月一八日)、ここに電話も引かず、電気、ガス、水道の使用量も極めてわずかか、零であり、とりわけ、寝泊まりするだけであっても、通常は入浴やトイレの使用、洗濯等により、必然的に使用することが避けられない水道の使用実績が、給水契約を締結していないため零であったり(原告は、給水契約の締結を失念したまま使用していたかのようにいい、甲第一四号証の一、二によれば、それは不可能ではないことが認められるが、新築のマンションに入居した住人が、約三年七か月もの間、給水契約を締結せずに水道を使用していたことはにわかに考え難いところである。)、給水契約締結後も、二か月でせいぜい二立方メートルと極めて乏しいなど、およそ人が生活の拠点として利用していたというにはほど遠い利用実態にあったといわざるをえない。

原告は(長女に遺すつもりだけではなく)、本件マンション購入当時、夫光雄と不仲で、馬堀海岸一丁目の家で同居できる心理状態になかったためもあって、本件マンションを購入したかのようにいうが、原告には、浦賀町にも居住する家屋があったことや、前記認定のように、原告は、本件マンションの購入に先立ち、光雄と共有で馬堀海岸一丁目の土地建物を購入しているほか、後述するように、本件マンション購入後も、毎日のように馬堀海岸一丁目の家に行き、光雄や啓道の食事の世話をしたりしていたということからすると、光雄と不仲で別居したいとの理由もあって本件マンションを購入したというのは、疑問の残るところである。さらに、原告は、保険の外交員という仕事の関係上、また、馬堀海岸一丁目の家にいる光雄と啓道の朝晩の食事の世話のため、本件マンションには寝泊まりするだけの生活をしていたもので、電気、ガス、水道の使用実績が少ないのはそのためであるというが、原告の年齢(昭和三年九月二七日生れ)からして、いかに保険の外交員とはいえ、本件マンションを所有していた約五年間、ほとんど休日もなく働いていたというのにはにわかに考え難く、また、馬堀海岸一丁目の家に光雄と啓道の朝晩の食事の世話のため毎日赴いたとしても、ある程度本件マンションに滞在する時間はあったはずであり、それなりに電気、ガス、水道も使用したはずであるのに、右のような理由から本件マンションには寝泊まりするだけの時間しかなく、そのため電気、ガス、水道を使用することはほとんどなかったというのは、通常の人間の生活として不自然であるといわざるをえない。また、原告は、本件マンションの購入当初から夫光雄とは不仲であり、そのため馬堀海岸一丁目の家には自分の布団すら置いておらず、光雄と啓道の朝晩の食事の世話のため馬堀海岸一丁目の家に帰っても、本件マンションに帰って寝泊まりしていたというのであるが、証拠(乙第二四号証)によれば、本件マンションと馬堀海岸一丁目の家とは、距離にして約一・六キロメートルあることが認められ、その間を前記のような年齢の原告がバスやタクシーを使ったとしても、毎日往復する生活を五年間続けたというのも容易に考え難いところである。

以上によれば、原告は、本件マンションに出入りしていたこと、そして時には、宿泊することもあったことは推認されるが、それは、本件マンションを所有していた期間中のかなり限られた範囲のものといわざるをえない。以上の認定に反する甲第六、七号証の記載、原告本人の供述は、たやすく採用することができない。

そうすると、原告は、本件マンションを生活の本拠として利用していたということはできない。

なお、仮に原告の主張するように、原告が本件マンションを主として寝泊りだけに利用しており、朝夕は、馬堀海岸一丁目の家で夫や長男の食事の世話をして、時に同所で泊まるという生活をしていたとしても、前記のとおり、原告は、複数の居住の用に供する家屋を所有する者といえるから、本件マンションが本件特例にいう「居住用家屋」としての生活の本拠に当たるというには疑問があるといわなければならない(措置法施行令二三条一項、二〇条の三第二項参照。他に居住用の家屋を所有しない者が、原告の主張するような生活を送っている場合とは、同一に論ずることができないというべきである。)。

そして、右のように、原告が本件マンションを生活の本拠として利用していたとはいい難いことに加えて、原告が、本件マンションを所有していた期間も、馬堀海岸一丁目の家で、光雄と啓道の朝晩の食事の世話をしていた旨供述し、少なくとも、本件マンション処分後は馬堀海岸一丁目の家で光雄らと同居していると認められることや、当時原告が浦賀町の家に居住していた形跡も窺われないことなどに照らすと、むしろ、原告が本件マンションを所有していた期間の原告の生活の本拠は、馬堀海岸一丁目の家にあるものと認めるのが相当である。

そうすると、いずれにせよ、本件マンションは、本件特例にいう居住用家屋には該当しないものといわなければならないから、これを前提としてされた本件各処分(甲第一号証)は適法というべきである。

三  結論

よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないことからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅野正樹 裁判官 近藤壽邦 裁判官 近藤裕之)

物件目録

(一棟の建物の表示)

所在     横須賀市馬堀海岸四丁目一番地弍壱

建物の番号  コスモ馬堀海岸

構造     鉄筋コンクリート造、ルーフィング葺五階建

床面積    壱階 五六六・六壱平方メートル

弐階 五参七・四壱平方メートル

参階 四六六・五七平方メートル

四階 四〇五・八五平方メートル

五階 参参七・壱弐平方メートル

(専有部分の建物の表示)

家屋番号   馬堀海岸四丁目壱番弐壱の参〇六

建物の番号  第参〇六号

種類     居宅

構造     鉄筋コンクリート造一階建

床面積    参階部分 四八・弐弐平方メートル

(敷地権の表示)

土地の符号  1

所在及び地番 横須賀市馬堀海岸四丁目壱番弐壱

地目     宅地

地積     壱弐弐〇・参四平方メートル

敷地権の種類 所有権

敷地権の割合 弐弐〇参参七分の五壱壱五

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